第1章1節 ー幕開けー  

 

 

 

 

 

「たーだいまー!」
「おかえりなさい、朔」
自分の家に帰りついてドアを開けるなり、ことさら明るい声を上げるとともに、ばさりと勢いよく漆黒のコートを脱ぎ捨てた朔を、真っ白な少女が出迎えた。
「お迎えありがとねー、しろー!」
しろと呼ばれた少女は、はにかむように微笑む。
そんなしろの頭をよしよしと撫でて、朔は部屋をくるりと見回した。
「あれ? くろはー?」
「居ますよ! ごはん作ってるのでとっとと着替えてきてください!」
奥の方からひょこりと黒髪の少年の顔が覗く。
エプロンをつけて、フライパンを持ったまま、不機嫌そうに眉根を寄せているその姿に、思わず朔は吹き出した。
くろが顔を朱に染めて、くわっと牙を剥く。
「なに笑ってるんですか!! 朔の分も食べちゃいますよ!!」
「あ、ははは…っ…ごめんごめん…っふ、くく…っ……くろ、そのエプロン似合うねぇ…っあはは…っ」
けらけらと笑いながら目元を拭う朔に、くろはさらに顔を赤くして叫ぶように言った。
「…っ、しろ、ごはん食べちゃおう!!」
「え、えっ」
「くろ、ごめんって!」
「朔、反省してないでしょう!」
「してる、してるよ!」
耳まで赤くしたくろの言葉に、しろは戸惑ったように声をあげ、朔は笑みを乗せたままの声で謝罪の言葉を綴る。
「…くろ、みんなで食べよ?」
不毛な言い争いを止めたのは、控えめに発されたしろの台詞だった。
一瞬の逡巡の後に、若干頬を膨らませてくろが呟く。
「……っ、しろに免じて許してあげます」
「わぁい! ふたりともありがとう!!」
朔はにこにこと笑いながら歓声をあげ、二階にある自室へ、着替えをしに向かうのだった。

 

 

・*・*・*・*・*・

 

 

朔の自室は、モノクロを基調にした、至極シンプルなものだった。
ベッドの上にコートを投げ出し、クローゼットからもこもこと暖かな部屋着を引っ張り出して、窮屈な仕事着から着替える。
脱いだ服すら床に放り出して、朔はベッドに身を投げ出した。
(…どうしたもんかなぁ…)
天井をぼんやりと見詰めながら、思考を巡らせる。
脳裏に廻るのは、先程与えられた任務のことだった。
朔は、夜闇に紛れて生きる者だ。
表沙汰にできない事を、秘密裏に処理する一族だ。
一族の命令ならば、どんな汚いことだってやった。
それこそ、言葉にできないようなこともやった。
そうやって、生きてきた。
なのに。
(…弱ったなぁ…)
あの子達に出会ってから、どうも自分は弱くなったらしい。
朔は苦笑した。
しろとくろには、自分が何をしているのか、なんて言ったことがない。
もし言えば、あの子達がどんな顔をするかなんて、わかりきっている。
思わず腕で覆った暗い視界の果てに、くろとしろの顔が浮かんでは、消えた。
「朔ー! ごはん食べちゃいますよーっ!」
なかなか降りてこない朔に痺れを切らしたらしいくろの声が響く。
きっと、くろの横では、しろが淡く微笑んでいるのだろう。
そこまで想像して、朔は勢いをつけて起き上がった。
「ごめーん!! いま行くー!」
ぐるぐると胸の奥で渦を巻く思いには気づかない振りで、殊更明るい声を張り上げながら、朔は階段を駆け降りた。

 

 

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「わぁー! くろ、張り切ったねぇ!」
「…なんでもいいでしょう、早く食べてください」
食卓に上がっている料理の数々を見るなり歓声を上げた朔に、くろはそっけなくそう言って、ふいと顔を背けた。
朔は笑う。
「うんうん、ありがとね。いただきまーす!」
「いただきます」
「…いただきます」
三者三様に料理に手を伸ばす。
テーブルの上には、あつあつのホワイトシチューと、焼きたての全粒粉パン、ホタテと海老のオリーブ炒めが並んでいた。
丸いパンを半分に割いて、断面にたっぷりとバターを塗り、かぶりつく。
表面はサクサクと香ばしく、バターのこっくり香る内側は、ほんのりとした塩気で小麦の甘さが引き立てられていて、旨かった。
オリーブと香草で香りよく炒められた海老とホタテはぷりぷりとしていて食感が良く、付け合わせの人参の甘煮も食欲をそそる。
じっくりと煮込まれているのであろうシチューは、とろとろになるまで煮込まれた肉が口のなかでほろっと崩れ、芋や人参もほくほくしている。
時間をかけて作られたのだろうそのどれもが、冷えていた身体を芯から温めてくれた。
「…おいしいなぁ…」
ほう、と肩の力が抜けたような気がした。
朔のその呟きに気づかないような振りをして、くろはもくもくとシチューを頬張っているが、どことなく照れているように見えるのは気のせいだろうか。
くろの横では、しろが小さく微笑みを浮かべながら、ちぎったパンを口に運んでいる。
朔はそんなふたりを、ほほえましい思いで見ていた。
(……しろ、笑うようになったなぁ…)
しろだけではない。
くろもまた、表情が豊かになった。
拾った当時は、触れば壊れるような危うさがあったものだけれど。
(…みんな、変わっていく)
生きている限り。
そしてそれは、朔自身にも言えることかもしれない。
食後の珈琲を飲みながら、朔は何かを決めたような顔をした。
ことり、とカップを置く。
「…ねぇ、くろ、しろ」
「どうしたの、朔?」
きょとりとしろが首を傾げる。
くろは訝しげな顔をして、朔を見つめていた。
朔は続ける。
「ちょっと朔さん、お仕事でいろいろあってねぇ…」
僅かに、声が震えた。
「今日もらったお仕事だけは、絶対にやりたくないんだ…」
だから、と朔は今にも泣き出しそうな顔を上げた。
「朔さんと一緒に、逃げて、って言ったら、どうする…?」
沈黙が降った。
「…仕事、やめるとかは」
「無理かなぁ…」
くろの言葉を、朔は遮った。
「そう、ですか…」
「ごめんねぇ…」
朔がぎこちなく苦笑する。
くろの眉根がぎゅっとしかめられた。
「……しろが、行くなら」
落とされた呟きは、思いの外大きく響いた。
二対の目が、しろに注がれる。
「…しろは……」
しろは、涙に揺れる瞳で朔を見つめて、言った。
「……朔と、いきたいです…」
泣き出しそうな震える声が、張り詰めた空気に滲んで、溶けた。
「……ありがとね」
朔がへにょりと笑う。
「さ、そうと決まれば準備を…」
言いかけた朔の声を、玄関の呼び鈴の音が遮った。
さっと朔の顔が強張る。
しかし、その表情を一瞬で掻き消して、朔は立ち上がった。
「…お客さんかなぁ? しろもくろも、ここでちょっと待っててねー」
戸惑ったようなふたりの応えも聞かずに、朔は玄関へ向かった。
片手に、常に身に付けているサイレンサー付き小型銃を構え、鍵を開ける。
瞬間、あっと声を出す間も無く、いささか乱暴にドアが開けられた。
微かな金属音に顔を上げ、目の前に突きつけられた銃口を睨み付ける。
銃を構えるのは、笑顔の面をつけた、細身の男。
「…やぁ、朔さん。ひさしぶり」
「笑い顔さん…」
呆然と目を見開く朔をよそに、笑い顔が、その面の下でさらに笑みを深めた気がした。
笑い顔の銃が下ろされる。
「…三日間」
「え…?」
「一族の目を誤魔化すのは、それが限界。…その間に、きちんと逃げてくれよ」
目を丸くする朔に、笑い顔はそう囁いた。
「君じゃあきっと、あの任務は出来ないだろうし、してほしくないから」
せっかく芽吹いたものを踏みにじるのは忍びないしね、と笑い顔は笑う。
朔は、すっと真顔になった。
「…あれは、あの任務だけは、わたしには出来ない。絶対にしたくない。…そして、誰にも完遂させない。…守るよ、あの子達を。絶対に」
自分の愛銃を握りしめながらそう呟く朔を、眩しそうな目で見詰めながら、笑い顔は頷いた。
「うん…くろくんとしろちゃんをよろしくね」
あの子達は、僕にとっても大切な子達だから、と。
それだけ言って、笑い顔はきびすを返し、闇に紛れていった。
その姿を見送って、朔はそっと目を閉じる。
(…もう、戻れない)
ぐるぐると渦巻いていた思いが、すとんとどこかに収まった気がした。
再び開かれたその瞳に、もう迷いはない。
「…しろ! くろ! 準備しよう!!」
ふたりのいる部屋を振り返ったその背には、朔本来の伸びやかさと、確かな覚悟が滲んでいた。

 

 

 

 

 

 

(あとがき:すごく冒頭です。ご飯シーン書くのたのしかったです!)

 

 

 

 

 

 

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