海の底

 

この深い深い海の底。
きっと、光さえ届かないこの海の底は、
何色だと思う?

「…は?」
笑い顔の問い掛けに、黒髪の少年が眉を潜める。
「いや、だから、海の底」
「それはわかりましたけど」
「うん、だから、その色って、どんな色だと思う?」
笑い顔は、笑顔の仮面の下でさらに笑みを深めた。
柔らかく、柔らかく、いとおしげに。
「海の底。行ったところで、光が届かなくてなーんにも見えないんだろうけど、さ。ねぇ、くろくん。きみは、どんな色を思い描く? どんな色を描きたい?」
「…そう、言われてもですね…」
くろは膝を抱えてそこに顎をのせた。
目の前には、視界いっぱいの青い海。
砂浜には、波と戯れるしろの姿。
暗い海の底なんてわかるわけがない、と目を伏せた。
「思い浮かばないかい?」
暗い視界の果てから、穏やかな声が聞こえた。
「……はい」
膝に顔を埋めて、小さく答える。
隣で、笑い顔が立ち上がった気配がした。
「あのねぇ、くろくん」
呼び掛けられて、のろのろと顔をあげる。
水面の乱反射で、目が眩みそうだ。
「真っ暗な海の底は、深い深い海の底は、絶望の象徴なんだよ」
そう言って、立ち上がった笑い顔は、こちらを見て微笑んでいた。
「じゃあ、そうだねぇ、問いを変えようか」
……微笑んでいたのだと、おもう。
「しろちゃんと一緒なら、海の底は、何色だい…?」
「……、ぁ……」
くろは、思わず目を見開いた。
どこか切なくて、哀しげなその声に。

笑い顔は確かに微笑んでいたのだ。
震える唇で。

なにが笑い顔にそうさせるのかなんて、くろにはわからない。
わかろうとも思わない。
ただ、笑い顔とはあんまり似ていないと思うくろに、くろとしろに、なにかを重ねていたのかもしれない、とも、思う。

くろは笑った。
どうしてか、何もかもが、いとおしかった。
笑いながら、言葉を紡いだ。
「…もし、しろといっしょなら」
笑っているのに、どうしてか、紡いだ言葉は震えていた。
「どんなにか、きれいでしょうね…」
海風が髪を揺らす。
一瞬の沈黙の後、微かな声がくろの鼓膜を震わせた。
「…うん、そうだねぇ……」
笑い顔も微笑っていた。
確かに、笑っていた。

波打ち際から、しろの声がする。
こちらへ手を振って。
「ほら、しろちゃんが呼んでる」
「そうですね、行きましょうか」
さくさくと砂を踏んで歩き出す。

何もかもが、輝いて視えた。
空も海も、砂浜も、しろの笑顔も、笑い顔の横顔も。

……深い深い、海の底も。

 

 

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