第一幕:揺らぎ

 

悲鳴、断末魔。
椅子の倒れる音。人の蠢く気配。

それはあまりに突然で、あまりに鮮やかな始まりだった。

 

【第1幕:揺らぎ】

 

(…っと、無能ばっか)
無表情の下で、ディラことしろはため息をついた。薄暗い会議室のなか、いわゆる“大御所”たちがざわざわと議題をあげてはそれに対する見解だの情勢だの新たな情報だのをあげていく。そのどれもこれもが、ずいぶん前にエレノアやヴァニラから仕入れていたものや、その他ロトソリアの情報網に引っ掛かって調べ尽くしたものばかりで、しろは書記の仕事を放り出したくなった。父が、周りを立てるためにあえてすでに手に入れている情報も書き留めさせていることを知っているから、そんなことはしないけれど。
瞳だけに苛立ちを潜ませて、ホワイトボードの前に立つ長兄、エルことくろに視線をやれば、苦笑じみた色を乗せた視線を寄越してきた。どうやら考えることは同じらしい。
今度こそひとつ大きくため息をついて、しろはペンを握り直す。どうせあと数十分もすれば終了だ。このままとろとろと時間が流れ、いつもと変わらない、退屈で苛立たしい会合で終わる…はずだった。
「…っぐ、あああああっ…!」
「なんだ?!」
突然の断末魔に、しろをはじめ、多くの者が得物に手をかけて臨戦態勢をとる。ちらと父を見やれば、彼はただただ悠然と座っていた。状況を見極めるように。
こんなときだ。自分がまだまだガキなのだと思い知らされるのは。
舌打ちしたい衝動に駆られながら、ぐるりと周囲を見渡す。断末魔をあげたのは“大御所”たちのなかでもいわゆる中堅層にあたる男だったらしい。胸元を握りしめるようにして椅子ごと倒れ伏した、まだ時折反射的な収縮を繰り返している筋肉につられてびくりびくりと跳ねる真新しい死体を中心にして、困惑と驚愕が広い会議室を覆っていく。
ぞわり、としろの肌をなにかが這い上がった。
(……?)
思わず左腕を擦る。とらえどころの無い違和感が、目の前に横たわっているような気がした。
ふと走らせた視界の端に、エレノアが映る。彼もまた、固い表情をして得物を手にしたまま立ち尽くしていた。
違和感。その正体を掴もうと、しろは目の前の光景を一枚の絵のように見据えた。細部を見て判断するのはくろの役目だ。しろの役目は、どこに違和感の原因があるのかを見つけること。それならば、広く視界を持っていたほうが都合がいい。
狼狽える者、悲鳴を上げる者、周囲を見渡す者、大声で言い合う者。そんな混乱と喧騒のなかで、しろは奇妙な静寂を見た気がした。
(……あれは…幹部どもの席か…?)
各組織のトップの後方には、その組織に属する幹部たちの席が用意されている。幹部とはいえ大御所たちからすればまだまだひよっこだろう多くの者たちは、動揺し、狼狽える者がほとんどだったのだが。
(…トップが死んだってのに、えらく落ち着いてんな、おい)
死んだ男が率いていた組織の幹部たちのなかに、今のこの場においては不自然なほど凪いだ瞳をした、黒装束を身に纏う者たちがいた。その視線の先には…父、レイ・“ロコ”・ロトソリア。
嫌な予感がした。
「おい、ボス」
喧騒に紛れそうなしろの声を過たず拾い上げ、レイがしろのほうへ顔を向けた、そのとき。
「ディラ・ロトソリアだな?」
真後ろから、声が聞こえた。
「…っ!?」
気配など感じなかった。反射的に距離を取ろうとすれば、あっという間に関節と気道を押さえられる。間髪入れずにおとずれた、右肩の関節を外される衝撃に、思わずあげかけた悲鳴を意地で噛み殺した。
ロトソリアの次男が、こんなところで無様に悲鳴などあげてなるものか。
「ディラ!! ……っ!?」
同じように拘束されたものの、特に外傷は無いらしいくろの声が聞こえた。しかし、そのあとに続く声が聞き取れない。まわりの喧騒すらも徐々に遠ざかっていき、視界に黒い紗がかかり始める。窒息するほどではないが、気道を圧迫されているために、圧倒的に酸素の供給が足りていない。
(……やっべぇ…オトされる……)
朦朧とした頭が警鐘を鳴らしはじめた、その時。
「僕の息子たちを離してくれるかな?」
肌を射す鮮やかな殺気とともに、遠ざかる意識の向こうから父の声が聞こえた。自分に向けられた訳ではないとわかっているしろでさえ背筋が凍りそうな、冷酷な殺気。それを受けてなお、しろを押さえつける男は愉しげに嗤う。
「ああ、アンタが《レイ・“ロコ”・ロトソリア》か。聞いてた通りのムカつく野郎だなァ? まあいいさ。アンタがこっちの条件飲むならすぐにでも離してやるよ、アンタの大事な“息子”をな」
聞いたことのないはずの、どこか聞き慣れた声がそんな台詞を紡いだ。
「…それで? 条件は?」
「おとなしくこちらに付いてくること。それが条件だ」
なかなか耳にできないような、静かな怒りを滲ませた父の声に、男がさらりと答える。
交渉材料にされている。
その事実を突きつけられて、しろは途切れがちな意識のなかで必死に顔をあげた。挑発に乗るなと。交渉材料にされてたまるかと。
そんなしろの表情が読み取れない父ではあるまいに、静かな怒りを仮面に隠して、彼は答える。
「へぇ? わかった。その条件、飲もう。だからさっさとその子を放せ」
一瞬虚を突かれたような気配がして、しろを拘束する細腕が震える。
「…っはは! 麗しい家族愛だな!! 良いぜ、ほらよ!!!」
けらけらと笑いながら、男はしろの首や関節に絡めつけていた腕をほどいた。しろの身体が投げ出される。急激な酸素量の変化に肺が追い付かず、しろは咳き込んだ。
咳が、外された肩の関節に響く。ずいぶん乱暴に外されたものだ。これではひとりではめ直せない。
「じゃ、しばらく寝ててくれるかなァ、アンタ」
四苦八苦して上体を起こせば、そんな不穏な台詞が聞こえた。背筋を滑り落ちる氷塊に、弾かれるように顔を上げれば、恐ろしく凪いだ、隙の無い気配を放つ黒装束に囲まれて、レイがこちらを見つめていた。
「ディラ、エル」
その場にそぐわない、穏やかな声音が鼓膜を震わせる。
「…ファザー…?」
思わずしろが溢した声は、迷子のように怯えていた。
「しばらく、あとを頼んだ」
その言葉を合図だったかのように、黒装束がレイのうなじに手刀を叩き込む。それはあまりに洗練された動きだった。
「…っ」
息を呑む。ゆうらりと、レイの身体が傾いでいく。それを黒装束のひとりが抱えあげ、しろたちに背を向けたのを見届けて、先程までしろを拘束していた男も歩き出す。そして、ふと思い付いたように、しろの方を向いた。
「借りてくぞ。あ、動くなよ? いまなんかしたらこいつ殺す。…じゃあな、ロトソリア。そして」
そこで一度言葉を切り、男は目深に被っていたフードをめくりあげて、くろに向き直った。
「…“ポラリス”」
くろの金色の瞳が、大きく見開かれる。
血のように赤い瞳をしたその男は、くろとよく似た面立ちをしていた。
茫然と立ち尽くすくろとしろを余所目に、男はくるりと踵を返して歩み去っていった。
周囲のざわめきが戻ってくる。
少し離れた場所で立っていたくろが、拳を握りしめた気配がした。
「ディラ」
「どうした、エル?」
努めて冷静に返す。肩の痛みを押さえ込んで見上げたくろの瞳が、揺れていた。
「すみません。…あと、頼みます」
「…エル…っ?!」
止めようとした腕は、痛みに強張って宙を掻く。ああ、思考が追い付いていないと冷静に判断を下す理性を置いて、感情だけが焦燥に駆られていた。
「俺が行く!」
そんななかで、もう聞き慣れてしまった頼もしい声が響く。視界の端に、赤い影が揺れた。
「エレノア!?」
「ヴァニラを呼んであるからあとのことはあいつに聞いてくれ!」
それだけを言い残して会議室を後にしたエレノアに、目を見開いた。
すでに何かを掴んでいたのか。
残されたしろは、無事だったほうの腕で苛立たしげに床を殴った。ぎり、と奥歯を噛み締める。
「…っ、どいつもこいつも…!」

誰かへの悪態をつきながら、しろはなにもできなかった無力感に唇を噛んだ。

 

 

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