夜明け前



大きく開いた窓から見上げれば、ゆったりと舞い降りる粉雪に彩られた、くすんだ翡翠の空が目に映った。美しい光景でありながら、ひどく禍々しい雰囲気に、少女の蒼く澄んだ瞳が揺れる。

ふと、耳に響いた微かな笑い声に、豊かな白銀の髪を揺らして振り返れば、螢火のような光が、美しい木目を飴色に染めた部屋の中で揺れていた。やがて、小鈴を転がすような笑い声を響かせながら、螢火は無数に飾られた絵画のなかの一枚に吸い込まれていった。カタカタと、絵画の中の骸骨が嗤い出す。

声の無い声が、鼓膜を叩く。聞こえないはずのそれが、少女の心を凍らせた。吹き荒ぶ雪風が、視界を白く染めていく。

絹を裂くような悲鳴は、白い闇に呑まれて、消えた。


・*・*・*・*・*・


「……っ」

跳ね起きるような勢いで、サクルは目を覚ました。早鐘を打つ心臓が痛い。雪のなかを駆け抜けたかのように荒い呼吸に、肺が悲鳴をあげていた。

乱れた呼吸もそのままに、そろりと視線を壁に投げる。年月に洗われて飴色に染まった壁に掛けられているのは絵画ではなく、血の繋がらない愛し子たちが織ってくれた飾り布。揺れる螢火は影もなく、窓の外は凪いだまま、まだ薄青い闇に閉ざされている。

目の前にあるものをひとつひとつ確認し、やっと、強ばっていたサクルの身体から力が抜けた。

(……ゆめ…)

しかし、そう自覚してなお、胸の奥をじわりと冷たい感覚が侵食していく。ともすれば、飲み込まれてしまいそうな冷たさを振り切るように唇を噛み締め、音を立てないように寝返りを打った。

反転した視界の先に、青白い月明かりに染まった、穏やかな寝顔が浮かび上がる。

(…ヴォルク)

いとおしい人の、幼くすら見える無防備な寝顔に、いっそ泣いてしまいたいような衝動に駆られた。眠りの浅い彼を起こさないように、そっと、白い敷布に流れる濡れ羽色の髪を撫でる。サクルの整った顔が、泣き笑いの形に歪んだ。

ヴォルクの、低く、落ち着いた声が、恋しかった。…どうか、名前を呼んでほしかった。



不意に、空気が震えた。

嘆くようなそれにつられて、ふわりと意識が浮上する。いまは結い上げていない、敷布に流した髪を、そっと撫でられる感覚に、ゆっくりと瞼を持ち上げた。

月明かりが染め上げた寝室が、目に入る。闇になれた眼が映し出す、薄青い世界のなかでなお蒼い瞳が、揺れていた。

「……どうした、サクル…?」

静寂に溶けるような、囁くような声を、問いの形に紡ぎ上げる。

伏し目がちだったサクルの視線が、弾かれたようにヴォルクの顔を見上げてきた。どこか怯えたようなその表情に、ヴォルクは小さく目を見開いた。

「悪い夢でも、見たのか?」

その問いに、明確な答えは無い。曖昧に浮かべられた、泣き顔にも見える微笑みに、彼は形のよい眉を下げた。

いとおしい人の哀しげな瞳は、堪える。

緩く伸ばした腕で、ヴォルクはそっと、サクルの頭を自らの胸元に抱き寄せた。そして、その白銀の髪に口付けるように唇を寄せ、囁く。

「まだ、早い。眠れ。…俺が、いる」

薄い衣越しに、小さく息を飲む気配がした。

とん、とん、と自分の心音に合わせて、やさしくその背を叩く。彼女の不安を、拭うように。

やがて、おずおずとしがみついてきたサクルが、穏やかな寝息をたて始めるまで、ヴォルクがその手を休めることはなかった。

それは、月の美しい夜のこと。




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